被災地・大槌へ行く

選挙が終わり、7月15日(金)の夜に厚木を発ち、被災した実家の様子を見てきました。

北上江釣子インターテェンジをでて、遠野経由で、被災地釜石、大槌へ向かいました。

釜石の駅辺りから、津波の被害を実感。
商店街は、どこも1階は壊れ、片付けた店と、手付かずの店が隣り合っている異様な光景。
これが廃墟というものかと思う。
釜石市、かつての繁華街

信号は点いていなくて、車はスピードを落として走る。この先は瓦礫が積んであった。
釜石の繁華街を抜けるあたり

釜石市両石地区。海のすぐそばです。建物の名残はこの鉄骨。引っかかったものが風に吹かれている。
両石地区にあった漁協

釜石市鵜住居(うのすまい)地区。5階建ての公営住宅の3階の中ほどまで、波が来たようだ。
5階建て、3階まで津波

大槌町へ入る。
小学校は焼けていた。この裏に仮説の役場ができている。右の電柱の陰には中央公民館。
大槌小学校、私も1年生の時、通いました

安渡地区。
実家の近くにあった鉄橋は跡かたも無く、通り過ぎて気がついた。
実家の周辺

安渡小学校近くには、原形をとどめていない車が積まれていた。
積まれた車

そのすぐ近くに、昨年建てたばかりの従姉の家の跡。昨夏行った時の間取りの記憶をたどる。
従姉の家だった。昨年立てたばかり。

写真の右上は、大槌湾、リアス式の三陸海岸の中ほどに位置する。
何もないが、4か月前は、たくさんの家が建ち、人々が生活していた。
安渡の中心

ここが実家。本当に、何もない。瓦礫も片付けられていた。あるのは、コンクリートの土台だけ。近所は、皆、そうだ。
奥に見える山の手前には、大槌川の河口。鮭が上る川だ。
大槌の実家跡

海を見に行く。小さい頃は両親と、中学生になってからは友人と行った浪板海岸。
松林では松が折れていた。にわずかに残った松の木達、真ん中の木の下に私が立っているのがわかるだろうか。その木の上、左側の枝、看板が刺さっていた。あんな高いところにまで、波が来たのか。
浪板海岸の松林

防波堤に浪がぶつかる。
浪板の浪
引いていく波に現れ、小石のカラカラという音が続く。
浪板海岸の防波堤
このそばで、若い男性が二人、サーフィンを楽しんでいた。他には誰もいない。今年は、誰もこの海で遊ぼうという気にならないかと思ったが、そうではなかった。

瓦礫撤去だけでも、自治体や地域での差を感じました。
役場に行くと、総務課長は団体からの支援金の受付に行っているということで、会わずに帰ってきました。
支援物資の受け付けはすでに終了し、仮設住宅の設置に伴い、避難所の解消に向けているとのことでした。

実際に仮説住宅や公営住宅に入居した人の話では、「2年間は家賃が要らないが、その後どうなるのか。大変不安だ」とのことでした。「物資の支援よりお金が必要だ」という言葉に、これからの支援のあり方を考えて行かなくてはいけないと思いました。

17日(日)に厚木に戻りました。月曜は定例の本厚木駅頭宣伝。普段なら、国民の祝日でお休みにするのですが、現地から帰ったばかりの私は、震災後、ずっと、選挙中も続けている駅頭宣伝時の救援募金活動をやらずには居られませんでした。

駅頭で現地の様子を話すと、部活に行くバス待ちの中学生が募金をしてくれました。
被災者の苦しみはずっと続くのであり、支援も続けていかなければなりません。

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  1. 2011/07/19(火) 15:56:39|
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